Coquelicot1.2.3

「陽気で優しい」

タイトルバック

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3年間で329人殺した、最後に殺したのはおととい、あくまでもこれは聖戦の行為

 

 

 これは平凡で平和な国で何不自由なく暮らしている私の狭い知見から考えることだけれども、結局全ての争いごとは正義と正義のぶつかり合いなのだろうと思っている。だれがどう見たって片方が悪の塊だとしても、それを善か悪かの判断を下すのは個々人のもんだ。

全てを受け入れ合ってわかり合う事なんて永遠に無理なのだから、その上でどうやって折り合いをつけていくのかが生きてく中で最大の難問なのだろうね。全ての物事に共通することはこの1つに尽きると思うのよ。

 

 

 

人の幸せを心から祝えなくなったら終わりだと思う、わかっちゃいるし人は人自分は自分なのにおんなじにして考えてしまうし嫌なことばかり考えてしまう。もっと素直で優しい心がほしい。

こんな嫌な思いを抱いてしまう自分が嫌いだ。いつまでもコンプレックスは消えないのは、自分の見た目も中身も大嫌いだからなのだと思う。自分が嫌いだと、何もかも全て何のために頑張っているのかわからないからキツいね。

 

分かり合えない、わかってもらえない、それが当たり前だって頭ではわかっているのだけど当事者になってしまうとどうしてわかってもらえないんだろうという悲しみと苛立ちで黒くなる。そしてこれは冒頭の話に戻る。

 

 

 

感情なんてリセットできないの、出来ないのが当たり前だから、全部抱えて明日も仕事をするしかないのよーーー!!!!!!

 

 

 

 

 

 

人生点数は一桁

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ポトリと落ちたのは、甘い甘い。

 

 

 

 

雲の隙間から太陽が見えるのは何だか嘲笑われているような気持ちになる。卑屈がすぎるのか、つまらない人間だからなのかの判断はつかないしつけたくないから知らん振りをする。自分に対して知らん振りをするのは酷く悲しいことだと思うけれど。

嫌なことは沢山ある。毎日は嫌な事の積み重ねなのかもしれないと思うことだってある、人生とは修行なのかしら?だれだって今が初めての人生なのにそれが死ぬまで修行なのは厳しいなぁ、と思う。もしかしたら人生の本番は死んでからなのかもしれない。絶対に絶対に誰も知らない、知ることのできないことなので少しだけドキドキするね。

 

夏が来ているけれど夏は高校生のためだけの季節なのでそれ以外にとっては拷問でしかない。なんで高校生はあんなに夏が来ると輝き出すんだ。

甘酸っぱくてキラキラした情景が見えるものが凄く好きなのだけど、これは青春コンプレックスから来る影響なのだと薄々分かっている。青春コンプレックスを持つ20代、めっちゃダサイなぁ。大人になった自分に期待も特別な想像もしたことはなかったけれど、ダサイ大人になってしまったようだ。超かっこいい音楽を自分の実力を見誤って歌ったりしちゃって音楽を台無しにするやつくらいにダサイ。最低だわね。

 

 

 

嫌なこと不安なこと辛いことも頑張らなくてはいけないし我慢もしなければならない、これに対してのご褒美とは?!

褒美をよこせ!!!!!!

 

 

 

 

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切り取った日常は永遠

 

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寒空の下の灯りはあったかい。

 

 

 

着実に夏はこっちに向かって来ている。最近は職場のFMからサマーヌードが流れるようになってきた、私もはしゃぎすぎてる夏の子供になりたい。室内で数字とにらめっこしていたって何にも生まれない。

 

スッとした気持ちで玄関のドアを開けて、想像していたよりも涼しいと何だか悲しい気持ちになる。1日のスタートが青空から猫騙しにあったような。青空の可愛い嘘だと思えばいいのかな、天気はコロコロと変わるし、全くお茶目だ。

 

 

デートをすっぽかされたり、男と女はとんでもないバランスで成り立っているのだなぁ、と考えたりする今日この頃。

なんでお前から誘ってきたデートをお前がすっぽかしてんだよせめて断りを入れろ、と思う。人としてどうなんだ?あと普通に私がフられたみたいになったのが頗る腹立つから仕事で取り返しのつかないミスして絶望に打ちひしがれろ。

私は毎日なにを楽しみに生きているんだろう、会社と家の往復、たまに友達。心はなにがあれば満足するのだろう?なんて思うことがあるけれど、友達とくだらないことで笑ってこの人たちが好きだなと感じる一瞬があるというそれだけのことが幸せなんだろうなぁ、とも様々思う。それを幸せと思えるか思えないか、それがきっと人生の分かれ道なような気もするのよね。

 

案ずるより産むが易しとは言いますが、まあ心配している大抵のことって決して易しくは無い。だって易しくないってわかってるから心配してるんだからね。まあ心配し過ぎると意外とそんなものか、というので終わるっていうだけですね。私は心配すれば心配した通りに失敗するんだけどね(別に韻を踏んでいるとかではない)。

仕事を始めて3ヶ月経ちましたが、相変わらず何にもできないままです。

どうしたってわたし1人で解決する仕事はないからこそ怖いことばっかりだ。そう考えると人生はわりと怖いことなのかもしれないね。

 

 

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それは嘘に見えた本音なのだ

 

 

ホストに貢ぐ女もアイドルを追っかける女も、結局根本は変わらないという話。

 

 

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オーロラを観に行ったことがあります。

私の人生の中で観た本当に美しいもの、オーロラとミケランジェロ最後の審判なのだけど、これらの持つ素晴らしさは、写真におさめられるものではなかった。なので自分の目と記憶しか頼りになるものがないし、どうしてもその時の鮮明な美しさというものは思い出せない。感動して涙を流したほどに素晴らしかった、という記憶はあるのだけど、どうしてもそれを観た時と同じように思い出せと言われると無理。

だけどそれがきっと普通なことで、世の中の大体の素晴らしい物たちは写真や映像ではなく私たちの記憶にしか残らないし、それらはその瞬間のみ最高に美しくて素晴らしいことを体感できる一瞬の儚いもので、一分一秒でも過ぎたら記憶になってしまうのだと思う。

だから素晴らしいものは最高なんだよね。全てのものが儚い世の中だよ。

 

 

さて、本題。

 

友達の周囲でホストが流行っているという話題について。

 

 

「なんで身近な一般人に何十何百と金をつぎ込めるのか」という話題からスタートしたものの、その子はたまたま「ホスト」にハマっただけで、「アイドル」にハマってる女となんも変わりはないよね、という結果に落ち着いた。

たまたまその子が、お金を払えば優しくしてくれて連絡を交換してくれてお酒を飲んでくれてチヤホヤしてくれる男の人に出会ってしまっただけで、片やアイドル好きはたまたまテレビ画面や雑誌の向こうで働く人を好きになって大きな会社に雇用されて色々なスポンサーをつけながらグッズやCDを販売してくれただけ。もうここにあるのはほんのちょっとの違いだけなんですよね。

 

まあつまり常にここらへんのことはパッションとお金でどうこうできる問題なわけですね。

 

 

何にハマっても悪いことではないし、何がどうあれホストもキャバ嬢もそれが仕事でお金を稼いで生活しているわけだし、お客さんはいい思いをできるし、その対価としてお金がどうしても必要なわけだから、まあ誰にも何も責められないし、偏見が凄いだけでよくよく考えてみれば自分がしていることと何にも変わらないのにね。

ブランド物買えば満たされるし、美味しいもの食べれば幸せだもの。

 

 

最終的に友達は「私もいつハマってもおかしくないわ」と言って終わっていたよ。

まあ別に私生活が崩れたり金銭トラブルが起こらなければなんの問題もないけどね。

 

 

 

私はどうしても他人に対してアレコレしてほしいとか、我も忘れて恋い焦がれたりしたことが無い。感情の欠落なのか、これが普通なのか、、、。10代の多感な時期に誰かを好きにならなかったせいなのかしら?

飽きっぽいから連絡を取り続けることもできないし、おはようもお休みも要らない、必要な時だけ必要なことを話してくれればいい。

友達と同じ様にしてくれればいいのに、どうしてみんな特別な存在に対して特別な処置をしたがるのか!デートして大切な日を一緒に過ごしてキスしてセックスしてるだけで特別なのにね、だからわかりきっていることを常にやらなくてもいいのになぁと思います。

結婚は契約のもとに成り立つし、書類という証拠が残るけど付き合う事は何の契約も証拠も発生していないからかな?常にどこか見えないとこに不安や焦燥を抱えているのかしら。

 

 

人間はタフだ!

 

 

 

 

 

 

バベルの塔の頂上から駆け下りる

  

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酒はそとで飲むのが一番美味しい、人間は外で生命に関わる何かをしている時が一番ウキウキすると思う。普段しないから本能が騒いでるのではないかしら!

 

 

ゴールデンなウィークは然程ゴールデンでもなかったんだけど、一瞬で消えた。早い、なんで月〜金の5日はあんなに長いのに休みの5日は風のように過ぎ去っていったのだ。悲しい、ただただ悲しい。

 

ここからが本題、先日読んだ人様のブログに「劣等感は優越感の裏返しの場合が殆どである」という一文が書いてあり、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

自分を蔑んでいるように見えて、実はうまく行かない現実をただ自分勝手に嘆いているだけらしい。めちゃくちゃ理解できる。

私は我が身が一番可愛い(外見の話では無い)し、一番大切だと思っている自覚はある。私の精神は、いざという時に他人はきっと捨てられるように出来ている。

この自覚があってなんで今まで劣等感と優越感の関係に気づかなかったのかというと、やはりこれも自分が可愛くて大切で甘やかしているかららしい。

本当は「こんなはずじゃない、私ならもっと、どうして、私なのに」という感情でドロドロになる筈の所が、こんな汚いヘドロみたいな物は見て見ぬ振りして「私なんて、周りに比べたら」といって外部に責任転換をしてまるで綺麗なか弱い心振りをしているだけだったようだ。

 

誰だってドロドロの汚ねぇ感情の奥底なんて見たくないよね、ましてやきっとそれは底なし沼で、自分の闇の果てしなさなんて知りたくもない。自分は悪い奴だという自覚はあるように見えてきっと本来よりも数段良い自己評価にしてしまっている。

 

自分のことは自分が一番わかっていると思って生きてきたし、それは割と正しいと思っているけれど、こうして不意に自分も気づかなかった感情の真相などに気づくとスッキリするね。

まあ本当にたまーにしかないんだけど。

 

 

 

我儘だし傲慢だし、蔑ろにされるのは嫌いだ。自分のことをわかっているからこそ最初から諦めて身の丈にあった場所を選んでいるはずなのに、決して満足しているわけではないし何なら不満ばかりある。手を伸ばすのが面倒なわけじゃなくて、多分とってもナイーブだから心が折れるのを怖がってしまっていて、身の丈にあったと自分に言い聞かせてるだけで、これはただ予防線の張られた枠の中に篭っているだけなんだよなぁ。

だからいつも何かと自分の行動に後悔ばかりしているんだ。

 

正解がわかっているのに、途中式を面倒くさがってめちゃくちゃ端折った結果違う答えが出て不正解になってしまっている、今のところ人生の4割はそんな感じかもしれない。

 

 

 

久しぶりに本を読んだら、とんでもないスピードで読み終わっていた。

ラノベみたいでちょっと物足りなかった。

綺麗だろうが汚れていようが、人間の持つ一番強い感情を全て愛と呼ぶらしい。拍手!

 

 

 

 

 

 

 

 

所詮は骨の髄から

 

 

バスが私を置いて発車するように、月日も一切私のことを待っていてくれない。 

 

 

 

給料日かつ華の金曜日、横浜の僻地での生活を抜け出して品川に向かった。入った給料の3分の1を引き落として。

 

私は性欲というものがよく分かっていなかったのだけど、まあタイプの男性がいたら顔よりも身体に対して興奮を覚えるし、可能ならば岡田准一に抱いてもらいたいと願うくらいには性に興味があると思う。因みに気持ち的にはだいぶ抱いてもらいたい。

しかしそれはあくまでも妄想の中での話になるし、誰だっていい男には抱いてもらいたいしいい女は抱きたくなると思うので、これを性欲にカウントしていいかどうか迷っていたところだったけれど、まあ人並み以下かもしれないがこれも立派な性欲だとしていくことにする。ソウルメイトに「性欲がない人に恋人は絶対に必要ない」と言われて目が覚めた。そりゃそうだ、人間の三大欲求の中で性欲だけが1人ではどうにもならん項目だけど、これが特に必要ないなら後は1人でどうとでも生活できる。

 

 

まあそんなこんな先日は的を得た言葉を沢山もらったので思ったことを反芻しながらちょこちょことここに残しておくことにする。

  

 

そもそも恋愛をする上で自己愛がとても重要になってくるということについて。

私は自分を自分で愛せないから他者に愛してもらうことで安心や喜びを感じるのだと思っていたのだけど、そもそもこの考えが間違っているらしい。

もうこの上ないほど全力で自分を愛して、それでも足りないから他者から愛してもらうために他者を求めることが普通だそうだ。確かに、自分に自信がない空っぽの状態で全てを相手に求めてくるやつよりも、予め満足しているやつのほうが労力もかからなくていい。あと全ての空白を埋める作業を相手に丸投げするの、確かに烏滸がましいわ。それに自分の好きなところを知っていて自分をちゃんと愛せている人の方が、自分の魅せ方をちゃんとわかってる。「恋愛と就活は同じ」だと言い出した人間、マジで凄いと思う。真髄を得ている。

私はまず卑屈な部分を改善していかなきゃならないのかぁ、うぅーん。

 

そしてもっと自分本位、我儘になってもいいらしい。許される我儘ってなんなんだろう。別に誰かに優しくしようとかそういうことを常日頃考えているほど出来た人間ではないし我儘だとも思っているので、これ以上我儘になっていいんか?と自問自答した結果得られたのは、「我儘」を「甘え」と受け取ってもらうためのスキルだということに気づいた。我儘は嫌がられて当然だけど、甘えは大抵受け入れてもらえる。この2つは同じものといっても過言ではないが、どうやら自分次第でどうとでもなるものらしい。まぁ結局は相手が自分のことをどう思っているかってことが大いに関係するハナシだけどね。

 

 

 

こんな話ばっかりしていたら、何だかもうとりあえず日本のこの文化?風習?国民性?みたいなものが全部悪いんじゃないかということになった。

世界が胸元の開いた華美なドレスで舞踏会などなどを楽しんでいるころ、片や日本では慎ましやかで男に従属して頑なに貞操を守る女が良しとされてりゃあそりゃこんな頭の固い冷たい国にもなりますね。「あいつらが胸元開けて谷間見せてるあいだ、こちとら十二単だのなんだの分厚くて重くて固てぇ着物を着てたの信じられる?」という発言は最高でした。信じられませんね、防刃チョッキの代わりか何かだったのかしら?

 

 

日本での仕事辞めて海外逃亡して、女友達とシェアハウスしながら毎週末パーティーにいくような生活を送りたいや。それもそれでお金がとってもかかるかな。

 

 

 

今日は月曜、何だか憂鬱な1日でした。果たして私はこの先どうなるのか?という不安ばっかりで気が狂いそうだし、GWが終わったあとは今年一年の終わりが見えないくらい長くて目眩がする。

 

 

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まさに心境はこんな感じ。

 

 

 

 

 

バイバイウィンター

 

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日本は意外と冬が長くて、冬は何だか空も重いし何というか寒すぎて外に出たくないなぁ、という日が多い。そんな長い冬が開けた春の威力と言ったら凄くないですか?

冬の反動もあるけれど、暖かくて天気のいい日にこんなに外に出たいと思わせる春は凄い。洋服も可愛いし、何より平日は雨でも晴れでも室内に缶詰めなので貴重な休日の日中、めちゃくちゃ外に出たくなる。

友達とお出かけは勿論、デートとかしたら最高なんじゃない?デートしたくないですか?したいです!という自問自答、10分おきにする。

もうこの歳になると感情の起伏が一定で異性に対して揺れ動くことがないのですけれど(病気なのかな?)そこはもう潔く諦めてこの無愛想で鉄格子のように頑なで冷たい心と上手く付き合っていこうと思います。

 

 

昼間から出かけてダラダラ出来た生活に戻りたい。

 

 

 

自分が自分を信じることって本当に難しいけど、信じてる人が評価してくれる自分なら、信じられるんじゃないかなって思えたりしますよね。というか、信じたいなって思いますよね。ゲシュタルト崩壊気味だけれども。

私の頑張る基準、いつも誰か第三者が何かしらの形で作用している気がする。思えば純粋に自分のためだけに何かをすることって今までなかった。もしかしてこれが生きるということか?と不意に気づいた。

今もこれからも私が手に入れた素敵なモノ達はずっと忘れないでいきたいね。キラキラの宝箱に入れるのもいいけれど、出来たらストラップのようにしていつでも存在を確認できるようにしておきたい。

 

 

この先はなんだかんだきっと途方もなく長い。多分。