Coquelicot1.2.3

「陽気で優しい」

それは嘘に見えた本音なのだ

 

 

ホストに貢ぐ女もアイドルを追っかける女も、結局根本は変わらないという話。

 

 

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オーロラを観に行ったことがあります。

私の人生の中で観た本当に美しいもの、オーロラとミケランジェロ最後の審判なのだけど、これらの持つ素晴らしさは、写真におさめられるものではなかった。なので自分の目と記憶しか頼りになるものがないし、どうしてもその時の鮮明な美しさというものは思い出せない。感動して涙を流したほどに素晴らしかった、という記憶はあるのだけど、どうしてもそれを観た時と同じように思い出せと言われると無理。

だけどそれがきっと普通なことで、世の中の大体の素晴らしい物たちは写真や映像ではなく私たちの記憶にしか残らないし、それらはその瞬間のみ最高に美しくて素晴らしいことを体感できる一瞬の儚いもので、一分一秒でも過ぎたら記憶になってしまうのだと思う。

だから素晴らしいものは最高なんだよね。全てのものが儚い世の中だよ。

 

 

さて、本題。

 

友達の周囲でホストが流行っているという話題について。

 

 

「なんで身近な一般人に何十何百と金をつぎ込めるのか」という話題からスタートしたものの、その子はたまたま「ホスト」にハマっただけで、「アイドル」にハマってる女となんも変わりはないよね、という結果に落ち着いた。

たまたまその子が、お金を払えば優しくしてくれて連絡を交換してくれてお酒を飲んでくれてチヤホヤしてくれる男の人に出会ってしまっただけで、片やアイドル好きはたまたまテレビ画面や雑誌の向こうで働く人を好きになって大きな会社に雇用されて色々なスポンサーをつけながらグッズやCDを販売してくれただけ。もうここにあるのはほんのちょっとの違いだけなんですよね。

 

まあつまり常にここらへんのことはパッションとお金でどうこうできる問題なわけですね。

 

 

何にハマっても悪いことではないし、何がどうあれホストもキャバ嬢もそれが仕事でお金を稼いで生活しているわけだし、お客さんはいい思いをできるし、その対価としてお金がどうしても必要なわけだから、まあ誰にも何も責められないし、偏見が凄いだけでよくよく考えてみれば自分がしていることと何にも変わらないのにね。

ブランド物買えば満たされるし、美味しいもの食べれば幸せだもの。

 

 

最終的に友達は「私もいつハマってもおかしくないわ」と言って終わっていたよ。

まあ別に私生活が崩れたり金銭トラブルが起こらなければなんの問題もないけどね。

 

 

 

私はどうしても他人に対してアレコレしてほしいとか、我も忘れて恋い焦がれたりしたことが無い。感情の欠落なのか、これが普通なのか、、、。10代の多感な時期に誰かを好きにならなかったせいなのかしら?

飽きっぽいから連絡を取り続けることもできないし、おはようもお休みも要らない、必要な時だけ必要なことを話してくれればいい。

友達と同じ様にしてくれればいいのに、どうしてみんな特別な存在に対して特別な処置をしたがるのか!デートして大切な日を一緒に過ごしてキスしてセックスしてるだけで特別なのにね、だからわかりきっていることを常にやらなくてもいいのになぁと思います。

結婚は契約のもとに成り立つし、書類という証拠が残るけど付き合う事は何の契約も証拠も発生していないからかな?常にどこか見えないとこに不安や焦燥を抱えているのかしら。

 

 

人間はタフだ!

 

 

 

 

 

 

バベルの塔の頂上から駆け下りる

  

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酒はそとで飲むのが一番美味しい、人間は外で生命に関わる何かをしている時が一番ウキウキすると思う。普段しないから本能が騒いでるのではないかしら!

 

 

ゴールデンなウィークは然程ゴールデンでもなかったんだけど、一瞬で消えた。早い、なんで月〜金の5日はあんなに長いのに休みの5日は風のように過ぎ去っていったのだ。悲しい、ただただ悲しい。

 

ここからが本題、先日読んだ人様のブログに「劣等感は優越感の裏返しの場合が殆どである」という一文が書いてあり、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

自分を蔑んでいるように見えて、実はうまく行かない現実をただ自分勝手に嘆いているだけらしい。めちゃくちゃ理解できる。

私は我が身が一番可愛い(外見の話では無い)し、一番大切だと思っている自覚はある。私の精神は、いざという時に他人はきっと捨てられるように出来ている。

この自覚があってなんで今まで劣等感と優越感の関係に気づかなかったのかというと、やはりこれも自分が可愛くて大切で甘やかしているかららしい。

本当は「こんなはずじゃない、私ならもっと、どうして、私なのに」という感情でドロドロになる筈の所が、こんな汚いヘドロみたいな物は見て見ぬ振りして「私なんて、周りに比べたら」といって外部に責任転換をしてまるで綺麗なか弱い心振りをしているだけだったようだ。

 

誰だってドロドロの汚ねぇ感情の奥底なんて見たくないよね、ましてやきっとそれは底なし沼で、自分の闇の果てしなさなんて知りたくもない。自分は悪い奴だという自覚はあるように見えてきっと本来よりも数段良い自己評価にしてしまっている。

 

自分のことは自分が一番わかっていると思って生きてきたし、それは割と正しいと思っているけれど、こうして不意に自分も気づかなかった感情の真相などに気づくとスッキリするね。

まあ本当にたまーにしかないんだけど。

 

 

 

我儘だし傲慢だし、蔑ろにされるのは嫌いだ。自分のことをわかっているからこそ最初から諦めて身の丈にあった場所を選んでいるはずなのに、決して満足しているわけではないし何なら不満ばかりある。手を伸ばすのが面倒なわけじゃなくて、多分とってもナイーブだから心が折れるのを怖がってしまっていて、身の丈にあったと自分に言い聞かせてるだけで、これはただ予防線の張られた枠の中に篭っているだけなんだよなぁ。

だからいつも何かと自分の行動に後悔ばかりしているんだ。

 

正解がわかっているのに、途中式を面倒くさがってめちゃくちゃ端折った結果違う答えが出て不正解になってしまっている、今のところ人生の4割はそんな感じかもしれない。

 

 

 

久しぶりに本を読んだら、とんでもないスピードで読み終わっていた。

ラノベみたいでちょっと物足りなかった。

綺麗だろうが汚れていようが、人間の持つ一番強い感情を全て愛と呼ぶらしい。拍手!

 

 

 

 

 

 

 

 

所詮は骨の髄から

 

 

バスが私を置いて発車するように、月日も一切私のことを待っていてくれない。 

 

 

 

給料日かつ華の金曜日、横浜の僻地での生活を抜け出して品川に向かった。入った給料の3分の1を引き落として。

 

私は性欲というものがよく分かっていなかったのだけど、まあタイプの男性がいたら顔よりも身体に対して興奮を覚えるし、可能ならば岡田准一に抱いてもらいたいと願うくらいには性に興味があると思う。因みに気持ち的にはだいぶ抱いてもらいたい。

しかしそれはあくまでも妄想の中での話になるし、誰だっていい男には抱いてもらいたいしいい女は抱きたくなると思うので、これを性欲にカウントしていいかどうか迷っていたところだったけれど、まあ人並み以下かもしれないがこれも立派な性欲だとしていくことにする。ソウルメイトに「性欲がない人に恋人は絶対に必要ない」と言われて目が覚めた。そりゃそうだ、人間の三大欲求の中で性欲だけが1人ではどうにもならん項目だけど、これが特に必要ないなら後は1人でどうとでも生活できる。

 

 

まあそんなこんな先日は的を得た言葉を沢山もらったので思ったことを反芻しながらちょこちょことここに残しておくことにする。

  

 

そもそも恋愛をする上で自己愛がとても重要になってくるということについて。

私は自分を自分で愛せないから他者に愛してもらうことで安心や喜びを感じるのだと思っていたのだけど、そもそもこの考えが間違っているらしい。

もうこの上ないほど全力で自分を愛して、それでも足りないから他者から愛してもらうために他者を求めることが普通だそうだ。確かに、自分に自信がない空っぽの状態で全てを相手に求めてくるやつよりも、予め満足しているやつのほうが労力もかからなくていい。あと全ての空白を埋める作業を相手に丸投げするの、確かに烏滸がましいわ。それに自分の好きなところを知っていて自分をちゃんと愛せている人の方が、自分の魅せ方をちゃんとわかってる。「恋愛と就活は同じ」だと言い出した人間、マジで凄いと思う。真髄を得ている。

私はまず卑屈な部分を改善していかなきゃならないのかぁ、うぅーん。

 

そしてもっと自分本位、我儘になってもいいらしい。許される我儘ってなんなんだろう。別に誰かに優しくしようとかそういうことを常日頃考えているほど出来た人間ではないし我儘だとも思っているので、これ以上我儘になっていいんか?と自問自答した結果得られたのは、「我儘」を「甘え」と受け取ってもらうためのスキルだということに気づいた。我儘は嫌がられて当然だけど、甘えは大抵受け入れてもらえる。この2つは同じものといっても過言ではないが、どうやら自分次第でどうとでもなるものらしい。まぁ結局は相手が自分のことをどう思っているかってことが大いに関係するハナシだけどね。

 

 

 

こんな話ばっかりしていたら、何だかもうとりあえず日本のこの文化?風習?国民性?みたいなものが全部悪いんじゃないかということになった。

世界が胸元の開いた華美なドレスで舞踏会などなどを楽しんでいるころ、片や日本では慎ましやかで男に従属して頑なに貞操を守る女が良しとされてりゃあそりゃこんな頭の固い冷たい国にもなりますね。「あいつらが胸元開けて谷間見せてるあいだ、こちとら十二単だのなんだの分厚くて重くて固てぇ着物を着てたの信じられる?」という発言は最高でした。信じられませんね、防刃チョッキの代わりか何かだったのかしら?

 

 

日本での仕事辞めて海外逃亡して、女友達とシェアハウスしながら毎週末パーティーにいくような生活を送りたいや。それもそれでお金がとってもかかるかな。

 

 

 

今日は月曜、何だか憂鬱な1日でした。果たして私はこの先どうなるのか?という不安ばっかりで気が狂いそうだし、GWが終わったあとは今年一年の終わりが見えないくらい長くて目眩がする。

 

 

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まさに心境はこんな感じ。

 

 

 

 

 

バイバイウィンター

 

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日本は意外と冬が長くて、冬は何だか空も重いし何というか寒すぎて外に出たくないなぁ、という日が多い。そんな長い冬が開けた春の威力と言ったら凄くないですか?

冬の反動もあるけれど、暖かくて天気のいい日にこんなに外に出たいと思わせる春は凄い。洋服も可愛いし、何より平日は雨でも晴れでも室内に缶詰めなので貴重な休日の日中、めちゃくちゃ外に出たくなる。

友達とお出かけは勿論、デートとかしたら最高なんじゃない?デートしたくないですか?したいです!という自問自答、10分おきにする。

もうこの歳になると感情の起伏が一定で異性に対して揺れ動くことがないのですけれど(病気なのかな?)そこはもう潔く諦めてこの無愛想で鉄格子のように頑なで冷たい心と上手く付き合っていこうと思います。

 

 

昼間から出かけてダラダラ出来た生活に戻りたい。

 

 

 

自分が自分を信じることって本当に難しいけど、信じてる人が評価してくれる自分なら、信じられるんじゃないかなって思えたりしますよね。というか、信じたいなって思いますよね。ゲシュタルト崩壊気味だけれども。

私の頑張る基準、いつも誰か第三者が何かしらの形で作用している気がする。思えば純粋に自分のためだけに何かをすることって今までなかった。もしかしてこれが生きるということか?と不意に気づいた。

今もこれからも私が手に入れた素敵なモノ達はずっと忘れないでいきたいね。キラキラの宝箱に入れるのもいいけれど、出来たらストラップのようにしていつでも存在を確認できるようにしておきたい。

 

 

この先はなんだかんだきっと途方もなく長い。多分。

 

 

 

 

 

干からびたファニー

 

 

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コンクリートに、消えない愛の足跡をつけていた  inベトナム

 

1番美しく風に靡くもの、きっとウエディングドレスなんじゃないかなぁと思っている。ウエディングドレスは女の永遠の憧れとかいうけれど、なんかきっとそんな簡単なもんではない。羨望とか渇望とかとにかく言葉にならない望みがある。

 

  

1週間が長い。

わたしは後何年、こうして仕事をするのだろう。今までの人生風のように過ぎ去ってきたから、未来について果てしないと思ったことがなかったので今更長い途方に暮れている。22という年齢、割と大人だと思ってたんだけど社会に出たら22なんてペーペーすぎて、また赤子に戻った感じだ。今らからの人生の方が長いだなんて信じられる?

ていうかわたしが今やってる仕事、本当にできるようになるのか?無理だろう。配属の理由とかどうでもいいけど一応何があってこうなったのかだけ聞きたい。

わたしはなんの面白味もない人間だけど、人様に迷惑だけはかけたくないしそれなりのプライドもあるので、働きたくないし仕事を辞めても社会が温かいならば今すぐに辞めてフリーターなりなんなりになるけど、そんなことはないので真面目にやっている。なのでやっぱりとっととそれなりの働きができるようにはなりたい。

 

 

何にも面白いことが思いつかないし、面白いことにも出会わない。

というかこの日記もクソつまんない。誰かに見てもらう事を意識したものではないしこんなただの自慰状態の日記にも程がある。もっとうまい文章が書けるようになりたい。

 

未来がモノクロだ。それでも純白のドレスだけは、モノクロだとしてもうつるのね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も手付かずの言葉

 

 

私は割と人見知りだし、他人のことを受け入れるのにとても時間がかかる。他人の査定がすごく厳しい、とよく言われる。因みに、自覚はある。

新しい環境などがめちゃくちゃ嫌いだし、新しい友達が欲しいかどうかと聞かれるとまぁ別にいらない、とも思う。友達のなりかた忘れたから一連の流れが面倒臭いんだけど、それはわたしが厳しい査定を用意しているし私という人間を受け入れてもらうこともそれ相当に難しい事だと勝手に思っているからであるのはわかってる。多分みんなもっと簡単に受け入れあって友達になっていくんだと思う。わかっちゃいるけど難しいことだよね!

 

査定の際にとても重要になってくるのが、面白いか面白くないかなんだけど、べつに私も面白い人間ではないし誰しもに千鳥や小峠のような最強の笑いを求めているわけではない。千鳥と小峠、めちゃくちゃ面白いから好き。

大事なのは、常にリズムやオチを意識しているかどうかということだと思う。

 

アメトーークがめちゃいい例なんだけど、面白くないやつは基本的にいつも番組でいう観客側で、ただ自分の思ったことを自分の発散のために話しているだけで会話のリズムとか相手のことを考えてオチが必要だとかを一切考えていないことが多い。面白いことには笑うし、私の感想に同調して貰えたら嬉しい楽しい大好き!くらいの内容。

一方で面白い人は常に華壇にいる心構えで話をしていて、相手のことをオーディエンスかつ同じ華壇の仲間として意識していると思う。

だから面白い人がある程度集まっていれば、会話の流れをお互いに読みあっていいリズムが生まれるし、ハイレベルな言葉のキャッチボール若しくは上手い選手の集まったゲームへと進化していくんだけど、これが残念で逆に意識してないやつらのとこに1人で意識できるやつがぶち込まれると本当に最悪なことになる。浮いて自爆して死ぬ。面白いやつらはお互いが存在して作用しあって面白くなっていて、1人で起こす化学変化はただの不振行動に過ぎん!!

 

べつに常にリズムだとかオチだとかを気にして会話しなくたっていいんだけど、せめてゲストの立ち位置であるべきだと思うのね。あくまでもお客さん、でもいつでも会話に参加できるしその会話を盛り上げる意識を持つ、ということが大事なのでは?

別に司会をやれとも言ってないし、ケンコバや後藤のように「どうしたらそのツッコミとボケが思いつくの?」というレベルの高いことをしろとは言ってないし、なんなら私にも無理!だけどやっぱ一緒に話をするからには撮影を見ているだけの観客じゃダメなんだよ、という話。

 

なにを言いたかったのかというと、つまんねぇやつが嫌い、だということ。

 

 

 

 

 

わたしいまの友達とどうやって仲良くなったんだっけな、みんな本当に面白いし私は「面白くなくては抹消されていく」というような学生生活を送ってきたから(ハード)面白くないやつに出会うと君は今までどうやって生きてきたの?という大きなお世話と言われてぐうの音も出ないような感情を抱いてしまう。

普通の人間の会話テンポが、♩=100とかなら私の周りの会話テンポ♩=250くらいだと思う。食う食われる、それが社会。。。。。。。

 

 

 

午後14時からのお仕事がとっても眠くてデスクに突っ伏してしまうのも時間の問題である。

仕事したくないし会社辞めて良いよって言われたら辞めるしそれは嘘偽りのない本音だけど、そんなこと夢のまた夢だしやっぱり社会的に働かないとならない現状下で思うことは、もっと仕事ができるようになりたいということです。私は身の程を超えてプライドが高い愚か者なので、とっととある程度の仕事が出来るようになりたいなぁと思います。

不注意だし抜け作なことはわかってるんだけど、時々本当に記憶が抜けることあるんだけど、病気かな。

 

 

マンデーは終わる。

 

 

桜しか知らないこと

 

 

みんな社会人になっていた!今まではバイト先とか家とか友達の話だったのに、それが全部会社の話になっていくのだなぁと思ったらとっても悲しくなった。7年前はみんなでお弁当を食べながら毎日なにを話していたんだっけ?毎日が思い出にしたいくらい楽しかったのは覚えていて、学校に行くのが楽しくて、絶対に忘れないんだろうなって思っていた事が溢れていた事は覚えているんだけど、内容はやっぱりもう思い出せない。思い出ってきっと誰しも無意識に美化していて、小さな事を1つ1つ積み上げて大きな塊にして、そしてその大枠?型?だけの事を言っているような気がする。少なくとも私は思い出も勉強も大抵のことはギュッとまとめてしまう。あんまり昔のことを覚えていないよ。でも面白いことはめちゃめちゃ覚えてる。

 

記憶の話といえば、五感の中でもっとも深く、長く刻まれるものは嗅覚らしい。プルースト効果。人間が動物であるということを思い出させてくれる気がする。別に忘れちゃいないし当たり前の事だけど、私達は私達のことを所謂動物園や野生の動物達とはやっぱり別口に考えているから、改めて動物であるという事をふとした時に考えると、ムカつく奴も嫌いな奴も何か許せるような気持ちになる。気持ちになるだけで別に永遠に嫌いだしムカつくんだけどね。

誰かを好きになる事は理屈じゃない、と言うけれど、同じように誰かを嫌いになるのも殴り倒したいくらい憎しむのも、一生不幸になってほしいと呪いたくなる気持ちだって理屈じゃないよね。好きも嫌いも本能的に感じるものではないのでしょうか、だって結局は動物だから。

 

 

友達の同期は早くも花見の場所取りや買い出しをさせられているらしい。そんなことさせられたら花見と言う最高なイベントも桜の事も一瞬で嫌いになるね。二度と咲くんじゃねぇと咲いたとしても1日で散れと願ってしまう。

 

桜って大抵散ってから「あ、昨日一昨日くらいが満開だったんだ」と気づくから、桜自身が思ってる「今の私最高!見頃は今!」っていう満開の最高の瞬間ってきっとみんな知らないと思う。花しか知らない花の絶頂。

 

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