花びらと舞う、狂気と狂喜
他者について自分の価値観で判断を下してしまうことは仕方のない事。私もしてしまうし、それを悪だと言うのは御門違い。だけどその判断を当人のことを傷つける道具や自分の自尊心の為に使うのは悪以外のなんでもないのではないでしょうか?どうにかして絶対にブチのめすから覚えとけ、と言うそれを上回る悪の気持ちに支配される。
私は私の人生に総合点で満足しているし、自分で選んできた今を嘆き批判していいのは自分だけだと思っている。誰にも同情される筋合いはないし、憐れまれたりバカにされたりする事は以ての外だ。
容姿だとかスタイルだとか、人と劣るところは沢山あるけれど、だけどそれを含めて私は私を取り巻く全てに自信を持っているわ。他人と比べて卑下する事だってあるけれど、それは私だけがしていいことであって、第三者に勝手に比べられて見下されるなんて理解ができない、明日また今日と同じ日がくるよと言われる方がまだ納得できる。
ただし、最初に書いたように、他者について色々と頭の中で思ってしまうのは人の性、止められない止まらない憎しみと欲望、嫉妬。それだけみんな自分が可愛くて仕方ないのだから、それはそれでいいじゃないとも声を大にして言える。
そこでこの矛盾をどう正しく折りあわせるかというと、答えはただ一つ、絶対にその負の感情を他言しないということ。
己の自尊心やくだらない競争のために、生まれながらにして持ち合わせる悪を武器として装備してはならないわね。
人は人だし、自分は自分。時には誰かを陥れて優位にいると思わないとやってられない時もある。
というか私なんてそんな時ばっかりだ、満足してるし自分のことが大好きだけど、保身の方法に限界がきてしまう時だってある。ボロボロになってしまう時もある。
そんな時に自分の中のサタン並みの悪魔を、放し飼いにせずに飼い慣らしていられる女になりたい、と思いました。
腹が立つことを言われても、それがすごく悲しくて不愉快で悔しくても。
最終的には全てエネルギーに変えてまた自分を沢山甘やかす為の術にして、見返してやりたいですね。
私は絶対に私の好きなようにするし、妥協なんてしない、だってそんなことして時間を無駄にするのがアホくさいもの。
物理的に見ることのできない星と同じ
愛し愛されたいと乞うてばかりいて、つまるところ私は情に対して飢餓状態でした。ということにエッセイを読んで気づいた。どの女も同じような悩みを抱えてまた一つ最高に近づいていくのね、女って素晴らしい!
考えても考えてもわからないから上手くいかなかったわけで、私はそれをなんとか時間と頭で解決させたけれど、そうもできない人だっている。
だけど大切な友達だから気づいてほしいな、ほんと男なんて掃いて捨てるほどいる、女もそれはまた然り。というかだからダメだったんだぜ!おわかり?!という感じ!掃いて捨てるほどいるから選んでもらえなかったし、掃いて捨てるほどいるから次いこ次!ハイ!仕方ねぇ!
可愛い服を着て靴を履いて鞄を持って、化粧をしていつもより気合入れて髪の毛セットすれば女はいつだって最強なんだからね!
今はめちゃくちゃに痛くてもほんのかすり傷だから絆創膏くらいで治るんだと気づいてほしいな、おんなじ過ちをした私からのエールだよ、傷心の愛する友人に幸あれ。
SATCをひたすら見まくる遊びをしていたのだけど、とっととこんな国飛び出して煌びやかな世界に飛び込みたい欲求が生まれてしまうわね。そもそものステータスや人間としての覚悟に雲泥の差があるのにもかかわらず。きっと世界中の女が同じように憧れているから不朽なのね、ニューヨークシティーの女も憧れるに決まってるわあんなドレス三昧の生活!
「一瞬のうちに10年経ったかと思えば、たった二年で人生が激変することもある、永遠にありえないと思う方向に」
という台詞があった。
確かに、人生何があるかわかったもんじゃない。あんなに欲していたものがよくわからないタイミングで手に入ってしまったり、直ぐにそれはすり抜けて消えていってしまったり。蜃気楼が突然見えてしまうのが人生ってものね。
たった2年、されど2年。
きっと私からしたら大きな2年。
何にもかわらないと嘆いて己の人生を不憫に思うより、それも含めて沢山愛してあげなくちゃ。今はきっとわたしがわたしを愛してあげないと、この世で私を愛する人が誰もいなくなってしまう。家族は除いてね!
過ちは繰り返してはいけないのだ、特に男に関する過ちは!!!!!!!!
その為に怠ってはならんのが忍耐と努力!!!!!!
咲き誇るメランコリック
選ばれないという惨めさをこれ以上感じたく無い気持ちと、だけどその気持ちを奮い立たせないと現状打破できないという地獄にいる。
人生とは地獄なのね、死んで初めて幸せになって天国に行けるような気がするわ。ちょっと考えればその通りだ、痛みも悲しみも辛さも望んで無いのに与えられて、感じてしまうのだから。
自分の気持ちがどんどんわからなくなる。大切にしたくて、大切に思われたいという気持ちは強いのに、大切にしてくれないような環境に身を置きにいきがちだ。だけどそうしてでもないとかだと私はこの沼から抜け出せないような気がする。結局わたしはプライドが死ぬほど高いのだ。くだらないプライドが。
どうして女はいつも従属する側なのだろう。性の話になれば、男は結局選ぶ側なのでは?そんなことないか、そんなのは偏見か。選べる女は選べるもんな!ジーザス!
メンヘラなブスにはなんの価値もないとわかっているし、心が折れそうになると私の中の天使と悪魔が声を揃えてそれを伝えてくるので毎日元気に頑張っている。基本的に私の中の天使と悪魔は仲良しだ。それ、なんの意味があるんだ?
どうしたら満足いく結果になるのだろう。もう私は傷つき疲れたんだ。卑屈になるのも私の中の汚れが顔を出すのも、もう最終的には私を全部全部丸々傷つけているので、己を守るための刃で己を切りつけている感じがする。
ボロボロだよ、いったいどんな戦場に身を置いてるのかしら?!?!
桃源郷はどこにあるのーーーーー?!
タイトルバック
3年間で329人殺した、最後に殺したのはおととい、あくまでもこれは聖戦の行為
これは平凡で平和な国で何不自由なく暮らしている私の狭い知見から考えることだけれども、結局全ての争いごとは正義と正義のぶつかり合いなのだろうと思っている。だれがどう見たって片方が悪の塊だとしても、それを善か悪かの判断を下すのは個々人のもんだ。
全てを受け入れ合ってわかり合う事なんて永遠に無理なのだから、その上でどうやって折り合いをつけていくのかが生きてく中で最大の難問なのだろうね。全ての物事に共通することはこの1つに尽きると思うのよ。
人の幸せを心から祝えなくなったら終わりだと思う、わかっちゃいるし人は人自分は自分なのにおんなじにして考えてしまうし嫌なことばかり考えてしまう。もっと素直で優しい心がほしい。
こんな嫌な思いを抱いてしまう自分が嫌いだ。いつまでもコンプレックスは消えないのは、自分の見た目も中身も大嫌いだからなのだと思う。自分が嫌いだと、何もかも全て何のために頑張っているのかわからないからキツいね。
分かり合えない、わかってもらえない、それが当たり前だって頭ではわかっているのだけど当事者になってしまうとどうしてわかってもらえないんだろうという悲しみと苛立ちで黒くなる。そしてこれは冒頭の話に戻る。
感情なんてリセットできないの、出来ないのが当たり前だから、全部抱えて明日も仕事をするしかないのよーーー!!!!!!
人生点数は一桁
ポトリと落ちたのは、甘い甘い。
雲の隙間から太陽が見えるのは何だか嘲笑われているような気持ちになる。卑屈がすぎるのか、つまらない人間だからなのかの判断はつかないしつけたくないから知らん振りをする。自分に対して知らん振りをするのは酷く悲しいことだと思うけれど。
嫌なことは沢山ある。毎日は嫌な事の積み重ねなのかもしれないと思うことだってある、人生とは修行なのかしら?だれだって今が初めての人生なのにそれが死ぬまで修行なのは厳しいなぁ、と思う。もしかしたら人生の本番は死んでからなのかもしれない。絶対に絶対に誰も知らない、知ることのできないことなので少しだけドキドキするね。
夏が来ているけれど夏は高校生のためだけの季節なのでそれ以外にとっては拷問でしかない。なんで高校生はあんなに夏が来ると輝き出すんだ。
甘酸っぱくてキラキラした情景が見えるものが凄く好きなのだけど、これは青春コンプレックスから来る影響なのだと薄々分かっている。青春コンプレックスを持つ20代、めっちゃダサイなぁ。大人になった自分に期待も特別な想像もしたことはなかったけれど、ダサイ大人になってしまったようだ。超かっこいい音楽を自分の実力を見誤って歌ったりしちゃって音楽を台無しにするやつくらいにダサイ。最低だわね。
嫌なこと不安なこと辛いことも頑張らなくてはいけないし我慢もしなければならない、これに対してのご褒美とは?!
褒美をよこせ!!!!!!
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こそこそとインスタグラムをやっています。
切り取った日常は永遠
寒空の下の灯りはあったかい。
着実に夏はこっちに向かって来ている。最近は職場のFMからサマーヌードが流れるようになってきた、私もはしゃぎすぎてる夏の子供になりたい。室内で数字とにらめっこしていたって何にも生まれない。
スッとした気持ちで玄関のドアを開けて、想像していたよりも涼しいと何だか悲しい気持ちになる。1日のスタートが青空から猫騙しにあったような。青空の可愛い嘘だと思えばいいのかな、天気はコロコロと変わるし、全くお茶目だ。
デートをすっぽかされたり、男と女はとんでもないバランスで成り立っているのだなぁ、と考えたりする今日この頃。
なんでお前から誘ってきたデートをお前がすっぽかしてんだよせめて断りを入れろ、と思う。人としてどうなんだ?あと普通に私がフられたみたいになったのが頗る腹立つから仕事で取り返しのつかないミスして絶望に打ちひしがれろ。
私は毎日なにを楽しみに生きているんだろう、会社と家の往復、たまに友達。心はなにがあれば満足するのだろう?なんて思うことがあるけれど、友達とくだらないことで笑ってこの人たちが好きだなと感じる一瞬があるというそれだけのことが幸せなんだろうなぁ、とも様々思う。それを幸せと思えるか思えないか、それがきっと人生の分かれ道なような気もするのよね。
案ずるより産むが易しとは言いますが、まあ心配している大抵のことって決して易しくは無い。だって易しくないってわかってるから心配してるんだからね。まあ心配し過ぎると意外とそんなものか、というので終わるっていうだけですね。私は心配すれば心配した通りに失敗するんだけどね(別に韻を踏んでいるとかではない)。
仕事を始めて3ヶ月経ちましたが、相変わらず何にもできないままです。
どうしたってわたし1人で解決する仕事はないからこそ怖いことばっかりだ。そう考えると人生はわりと怖いことなのかもしれないね。
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こそこそと、インスタグラムを始めました。
それは嘘に見えた本音なのだ
ホストに貢ぐ女もアイドルを追っかける女も、結局根本は変わらないという話。
オーロラを観に行ったことがあります。
私の人生の中で観た本当に美しいもの、オーロラとミケランジェロの最後の審判なのだけど、これらの持つ素晴らしさは、写真におさめられるものではなかった。なので自分の目と記憶しか頼りになるものがないし、どうしてもその時の鮮明な美しさというものは思い出せない。感動して涙を流したほどに素晴らしかった、という記憶はあるのだけど、どうしてもそれを観た時と同じように思い出せと言われると無理。
だけどそれがきっと普通なことで、世の中の大体の素晴らしい物たちは写真や映像ではなく私たちの記憶にしか残らないし、それらはその瞬間のみ最高に美しくて素晴らしいことを体感できる一瞬の儚いもので、一分一秒でも過ぎたら記憶になってしまうのだと思う。
だから素晴らしいものは最高なんだよね。全てのものが儚い世の中だよ。
さて、本題。
友達の周囲でホストが流行っているという話題について。
「なんで身近な一般人に何十何百と金をつぎ込めるのか」という話題からスタートしたものの、その子はたまたま「ホスト」にハマっただけで、「アイドル」にハマってる女となんも変わりはないよね、という結果に落ち着いた。
たまたまその子が、お金を払えば優しくしてくれて連絡を交換してくれてお酒を飲んでくれてチヤホヤしてくれる男の人に出会ってしまっただけで、片やアイドル好きはたまたまテレビ画面や雑誌の向こうで働く人を好きになって大きな会社に雇用されて色々なスポンサーをつけながらグッズやCDを販売してくれただけ。もうここにあるのはほんのちょっとの違いだけなんですよね。
まあつまり常にここらへんのことはパッションとお金でどうこうできる問題なわけですね。
何にハマっても悪いことではないし、何がどうあれホストもキャバ嬢もそれが仕事でお金を稼いで生活しているわけだし、お客さんはいい思いをできるし、その対価としてお金がどうしても必要なわけだから、まあ誰にも何も責められないし、偏見が凄いだけでよくよく考えてみれば自分がしていることと何にも変わらないのにね。
ブランド物買えば満たされるし、美味しいもの食べれば幸せだもの。
最終的に友達は「私もいつハマってもおかしくないわ」と言って終わっていたよ。
まあ別に私生活が崩れたり金銭トラブルが起こらなければなんの問題もないけどね。
私はどうしても他人に対してアレコレしてほしいとか、我も忘れて恋い焦がれたりしたことが無い。感情の欠落なのか、これが普通なのか、、、。10代の多感な時期に誰かを好きにならなかったせいなのかしら?
飽きっぽいから連絡を取り続けることもできないし、おはようもお休みも要らない、必要な時だけ必要なことを話してくれればいい。
友達と同じ様にしてくれればいいのに、どうしてみんな特別な存在に対して特別な処置をしたがるのか!デートして大切な日を一緒に過ごしてキスしてセックスしてるだけで特別なのにね、だからわかりきっていることを常にやらなくてもいいのになぁと思います。
結婚は契約のもとに成り立つし、書類という証拠が残るけど付き合う事は何の契約も証拠も発生していないからかな?常にどこか見えないとこに不安や焦燥を抱えているのかしら。
人間はタフだ!