Coquelicot1.2.3

「陽気で優しい」

バベルの塔の頂上から駆け下りる

  

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酒はそとで飲むのが一番美味しい、人間は外で生命に関わる何かをしている時が一番ウキウキすると思う。普段しないから本能が騒いでるのではないかしら!

 

 

ゴールデンなウィークは然程ゴールデンでもなかったんだけど、一瞬で消えた。早い、なんで月〜金の5日はあんなに長いのに休みの5日は風のように過ぎ去っていったのだ。悲しい、ただただ悲しい。

 

ここからが本題、先日読んだ人様のブログに「劣等感は優越感の裏返しの場合が殆どである」という一文が書いてあり、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

自分を蔑んでいるように見えて、実はうまく行かない現実をただ自分勝手に嘆いているだけらしい。めちゃくちゃ理解できる。

私は我が身が一番可愛い(外見の話では無い)し、一番大切だと思っている自覚はある。私の精神は、いざという時に他人はきっと捨てられるように出来ている。

この自覚があってなんで今まで劣等感と優越感の関係に気づかなかったのかというと、やはりこれも自分が可愛くて大切で甘やかしているかららしい。

本当は「こんなはずじゃない、私ならもっと、どうして、私なのに」という感情でドロドロになる筈の所が、こんな汚いヘドロみたいな物は見て見ぬ振りして「私なんて、周りに比べたら」といって外部に責任転換をしてまるで綺麗なか弱い心振りをしているだけだったようだ。

 

誰だってドロドロの汚ねぇ感情の奥底なんて見たくないよね、ましてやきっとそれは底なし沼で、自分の闇の果てしなさなんて知りたくもない。自分は悪い奴だという自覚はあるように見えてきっと本来よりも数段良い自己評価にしてしまっている。

 

自分のことは自分が一番わかっていると思って生きてきたし、それは割と正しいと思っているけれど、こうして不意に自分も気づかなかった感情の真相などに気づくとスッキリするね。

まあ本当にたまーにしかないんだけど。

 

 

 

我儘だし傲慢だし、蔑ろにされるのは嫌いだ。自分のことをわかっているからこそ最初から諦めて身の丈にあった場所を選んでいるはずなのに、決して満足しているわけではないし何なら不満ばかりある。手を伸ばすのが面倒なわけじゃなくて、多分とってもナイーブだから心が折れるのを怖がってしまっていて、身の丈にあったと自分に言い聞かせてるだけで、これはただ予防線の張られた枠の中に篭っているだけなんだよなぁ。

だからいつも何かと自分の行動に後悔ばかりしているんだ。

 

正解がわかっているのに、途中式を面倒くさがってめちゃくちゃ端折った結果違う答えが出て不正解になってしまっている、今のところ人生の4割はそんな感じかもしれない。

 

 

 

久しぶりに本を読んだら、とんでもないスピードで読み終わっていた。

ラノベみたいでちょっと物足りなかった。

綺麗だろうが汚れていようが、人間の持つ一番強い感情を全て愛と呼ぶらしい。拍手!